東京ってすご~い~
2023.11.18
blog
皆さん、こんにちは。
先に
<お知らせ:1>
DRESSERS松山店は、
11月7日(火)~11月22日(水)が
お店お休みになります。
*変更ある場合はブログ内でお知らせさせていただきます。
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<お知らせ:2>
DRESSERS東京店
11月19日(日)、16:00~の
ご予約お受けできます。
是非ご連絡お問い合わせお待ちしております。
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今日は商品紹介など何もないです。
長いので、
お時間あれば見てみてください。
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私は今、東京にいます。
15年前、東京から離れ、愛媛県松山市で「DRESSERS」という洋服屋を
始めました。大学時代に松山にいて、服が好きで服屋でバイトして、
大学3年、4年の時に、大学生とは言わず、一人で
毎週土日しかオープンしない洋服屋をやっていました。
アルバイトしていた会社のガレージをお店にしていたので
”ガレージショップ”という名前で2年間お店をやっていました。
その時に、毎週足を運んでいただくお客様がたくさんいらっしゃって、
それが面白くて、その時に僕は洋服屋になるって決めたんです。
ただ、当時21,22の僕は、故郷の山口県と、大学時代の愛媛県しか
知らない若者で、10年後の自分を思ったときに、
「東京では〇〇で~~」って話してる30歳を思ったときに、
なんだそいつ!ダサすぎる!と若かりし未熟な僕は思ったのです。
(*もちろん、一つの場所でずっとやってることがどれだけすごいことなのか
というのは今となれば本当にすごいことだとわかりますし、
どちらでもやったことのある僕は、いわゆる地方都市で、
やっていくことがどれだけすごいことなのか、ということも
体に染みてわかっているつもりです。
東京と、いわゆる地方都市とでは、同じアパレルでも競技が全く違う。
競技が違うのでルールも違うし習得すべき技術も違うし、必要とされるスキルも全く違う。
なので、どちらが上も下も全くないと感じています。)
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正直最初は、広島や福岡とかも思っていたのですが、
部長や社長が、”お前、田舎から田舎にいって何するんぞ?
行くんやったら東京行かんけん!”と。
私は ”え!!!!東京ですか?!!!!!!”
とはいえどんどん頭の中は東京になり、
東京ってどのくらい上がいるんだろう、
自分はどのくらいいけるモノなのだろうか?
ちょっと見てみたい、行ってみたい、やってみたいと
思うようになりました。
そして、一旦はバイトしていたところに就職させていただくのですが、
どうしてもこのままではいけない気がして、社長や部長に相談して
東京に行くことになったのです。
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とはいえ、東京に親戚も知り合いも何もない、
就職先も決まっていない、本当になんのあてもない状況で
「僕、東京に行く!」って言って、
5万円と数日分の着替えだけ持って、
山口県の徳山から、夜行バスで東京に行きました。
朝の5時にカラスがたくさんいる新宿のバス乗り場で降ろされ、
さて行く当ても何もなく。。。
一度従妹に連れて行ってもらった、恵比寿のガーデンプレイスに
とりあえず行こうと思い、電車の乗り方もわからないまま、
ガーデンプレイスにたどり着き、朝からやっていた入り口にある喫茶店に入り、
コーヒーを飲みながら、母親に電話して「今、東京着いた。」と。
「頑張りぃさんね」という言葉から僕の東京は始まりました。
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そこから、家を探さなくてはいけなくて、東京に住んでいたことがある先輩に
電話して「東京って何線が人気あるん?」って聞くと「東横線じゃない?」
「東横線ってなんなん?どこから乗るん?俺今から東京住むんよ」って。
そしたら、渋谷から出てて、始発駅だと教えてもらい、渋谷からとりあえず
東横線というものに乗り、代官山、中目黒、祐天寺、学芸大学となったときに、
ここで降りよう!と思って学芸大学駅で降りました。
大学って書いてあったので、大学生が住んでる街だと思ったのです。
あとからわかるのですが、そこに大学は無かったのですが、、、
大学生なら無職で家に住んでるのだから、僕にも貸してくれるんじゃないかな
と思ったのです。そして渋谷から4駅も離れたら、僕の田舎の感覚では
隣の市までいってる距離なので、これだけ離れれば、けっこう都会から
離れたから、家賃も安いだろうと思ったのです。
結果として渋谷までマジで近いところでした。。。。
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そこで、手あたり次第、不動産屋を見つけては入って、
なぜか、”将来は愛媛でお店をやるために東京きたんだ、だから部屋を貸してほしい”と
謎に夢ばかり語っていました。もちろん無職の僕にどこも貸してくれるはずもなく、、、
疲れ果てた時に、やってるのかやってないのかわからない小さい古い不動産屋があって、
入ってみました。同じく夢を語っていたところ、対応していただいたおばさんが
まさかの山田さん。そしてその山田さんが急に、
「山田さん(僕)、私の目を見てください!」というので、
なんですか?と思いながら山田さんの目をじっと見ました。
そしたら「わかりました、貸しましょう。案内できるところはほとんどないけど、
そこでよかったら貸しましょう」と言ってくれたのです。
聞けば、その山田さんも、若い時分に東京の服屋で働くために無職で出てきて
どこも家を貸してくれない中、ある不動産屋のおじさんが、”お嬢さん、私の目を見なさい”と
言われて、目を見て貸してくれたのでそうです。そのあと服屋をやめたけど、
その時の自分を見てるようで、そのおじさんの受け売りでちょっとやってみました
ということでした。で、実はその不動産屋ってここなんですけどねって。
そのおじさんがこの不動産屋のオーナーなんです。って。なんて感動的な話!
ということで、なんだか、僕は東京に住めることになったのです。
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さてそこから、、、、
私は無職なので職探しです。
当時1999年とか2000年とかの時代、代官山はファッションの街として
すっごく人気の街でした。
で、毎日代官山に行っては、ぐるぐる歩き、店に貼ってある求人の紙を見ては
メモして、そこに履歴書を送っていました。
(当時はネットとかないので、足で探して、書類送ってっていう時代)
とにかく東京で服屋で働くという
目的だったので、もう数えきれないほど履歴書を出しました。
(当時はアパレルがすごい時代だったので、どこも募集していました)
とはいえ、面談までしてもらえるのは数か所、でそもそも書類で全部だめ。
いま考えると当たり前ですけどね。引く手あまたのファッション人が
万といる東京で、大学時代愛媛県で服屋でバイトしてましたって、、
そりゃね。
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その後、テイジンメンズショップ銀座本店、昔のEDIFICEで働かさせていただくことに
なるのですが、話が長すぎるので、今日はこの辺りでやめておきます。
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で、いま、改めてDRESSERSとしてTOKYOでやりだしました。
先日、友達と代官山をぐるぐる歩きました。
なんだか感傷に浸ってしまう感じでした。
22,3の時に、不安と恐怖と希望の中、毎日代官山に来て
求人を探して、落ち、落ち、落ち、していたあの時代、
そのご色々、いろいろ、イロイロあって、
今自分が自分のお店でTOKYOでやってるって。。。
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たくさんの方に面倒見ていただき、気にしていただき、
たくさんのお客様にご愛顧いただき、助けていただき、
本当に本当に感謝です。本当にありがとうございます。
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当時の東京にいた僕は、今日、今、5分後、1分後のことに必死で
必死で必死で、、、(今も一緒ですが)
いま、昔一度東京でやってるので、すこし引いた目線で、落ち着いて東京を見る
ことができるようになってきているようで、
先日友人の車で、いわゆる「東京です」というところを代官山の後に
夜にぐるぐる回りました。
もしかしたら、こんなにゆっくり引いた感覚で冷静に東京を見たのは
初めてかもしれません。
なんだか東京って凄いですね(笑)
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全然関係ないかもしれませんが、
「とにかく明るい安村」さんのYOUTUBEで
「東京って凄い」というのがあるのですが、
それがめちゃくちゃ面白いので見てみてください。
今回のブログの題名は、それです(笑)
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なんだか急に朝、そういうことを書きたくなってしまいました。
DRESSERS
山田